来た

 今日あいつが来た。うるさいやつが来た。横で早く飯を食いにいきたいとぎゃーぎゃー言ってやがる。横でやがるの用法についてごちゃごちゃ聞いてきやがる。やがるは進行形とかわけのわからんことを言っている。しかしうるさいなりにいいところもある。なにか。ひとつは今日中古のDVDをたくさんくれたことだ。俺は物に弱い。貧乏くさい性分なのだ。横で俺の文章を読んでげらげら笑ってやがる。もう一つは最近いじられっぱなしだったが、こいつが来てくれたおかげで、この俺にもいじれる相手ができた。
 となりで腹減ったと騒ぎ始めてうるさいので、きょうはこれまで。

そろそろ フリ卒 就職活動

 今日職務経歴書を書いた。転職活動には職務経歴書というものが必要なのである。これはどういうものかというと、自分がこれまでどういう仕事をして来て、どういうスキルが身についたかを採用企業側にアピールするものだ。決まった書式というものがないため、文具店等で履歴書のように売っていたりもしない。

 
 内容は前勤務先の会社概要、従事した業務の時系列、身についたスキル、自己PRというものだ。出来上がって、眺めてみると「あれっ、俺って結構いい感じに仕事してたんちゃうん」とかまたまた、結構痛い事を一瞬ではあるが、考えてしまった。まあおそらくこんなことを考えているやつは一生就職できんやろうと思い、妄念を打ち払った。

 
 ITルームで作業していたのだが、そのとき友達が入ってきたので、できたばかりの職務経歴書を見てもらった。自己PRのところでいくつか筋の通ったアドバイスをしてもらった。自分の書いたものを真剣に読んで、真摯に助言してくれたことは非常にありがたかった。ありがとう。

 
 景気が好転の兆しを見せているが、転職市場は依然として厳しい。自分が望むような条件のいい企業等は特に、激烈な競争を勝ち抜かなければいけなくなるだろう。これから様々な挫折を味わうだろう。しかし結果を出すまで、動き続けるしかないし、あきらめるつもりもない。


そういえば


やつが来る。ついに来る。明日シンガポールからやってくる。

悪女

久しぶりに川端作品を読み始めた。本のタイトルは「美しさと哀しみと」。まだ読み始めたとこなので、どのような展開に話が流れていくかわからないが、川端独特の陰鬱で背徳的な雰囲気がこの作品にもこめられていていい。

 
 この作品にけい子と言う女性が登場する。話の筋やこの女性と主人公大木との関係をここで一々詳述するのは面倒くさいので書かないが、このけい子という女は、魔性の女として描かれている。このけい子の悪女っぷりが好きだ。

 
 思えば悪女にはまり、その陶酔の中で破滅するのはある意味男にとって憧れなのかもしれない。自分が谷崎作品に魅了され共感するのもそのためかもしれない。しかしも悪女は人を選ぶ。文学作品上で悪女が破滅に導くのは、知性にあふれ将来が嘱望されている若者、もしくは富と名声を築きあげた男達が殆どである。才も富も器量もない男は道端の石ころ同然見向きもされない。だから自分のような詰まらん人間はよけいに惹かれるのかもしれない。

 
 しかし同時に川端作品のように陶酔を許さない、全てを達観して美を追求するような作風にはもっと惹かれる。川端作品の主人公たちは、谷崎作品とは違って、女に惑溺して破滅したりしない。自己陶酔や破滅のねっちこさはあまり感じない。そこにあるのは陶酔を許さない愛ではないだろうか。自分はこれに惹かれる。

 
昨日今日と気色の悪い文章が続く。明日から気分転換に北斗の拳でも読み直そう。

芸術の秋

 今日も特に予定がなく、学校で暇をつぶす。いつもはパソコンに向かっても集中できず、インターネットばかり見ているが、さすがにそろそろ本腰を入れて勉強しないといけないと思い、今日は一工夫してみることにした。それは音楽を聴くことだ。何を聞いたかと言うとベートーベンさんのピアノソナタ。似合わんといわれるかもしれないが、なんかあの寂寥感をがこめられたような情熱的な感じがする、あの曲調が好きだ。おかげで結構集中できた気がする。
 
秋の到来を感じる

 
 なんか秋になってきて、夜風が冷気をおび始めた。この冷気の中ボケーっと暗い夜道を歩いていると、時のうつろいが身にしみて、なんか妙にもの悲しげになる。ひと恋しさに気持ちが揺れて、ほのかな心地よさを含んだ寂寥感が胸にしみ入る。なんかこの気分を和歌にでもしたためたくなった。しかしそんなことをすると、とんでもないゲテモノ短歌を誕生させてしまい、後味の悪さだけが残りそうだ。だからそっちのほうはパン駄にでも任せようかと思う。余計なことはしないに限る。しかし今日は自分のなかにも芸術の秋の到来を感じた。なんか書いていて痛々しくなってきた。しかし書き直すのも面倒なので、このまま晒しておくことにする。

パンダを飼うことにした

 どうも俺のブログは殺風景なんで、ブログペットでも飼うことにした。なんかいろんな種類の動物がいて悩んでしまったが、結局パンダを飼う事にした。名前はパン駄。ペットにこんな名前をつけるなんて非情な飼い主と思われるかも知れないが、いかにも駄パンダっぽいのでまあいいかと思いこの名前にした。友達に設定を手伝ってもらって、いざブログ上で動かしてみると、期待に違わぬ駄パンダぶりで非常に満足した。友達がパン駄が一句詠むまで根気よくいじっていると、ついに詠みやがった。


パン駄の今日の詩
要するに 忙しいのも 久しぶり


 以外にこいつは天才かもしれないと、友達と二人で爆笑しつつ感心してしまった。しかし俺のつつましい毎日を"要するに忙しいのも久しぶり"と一刀両断されてしまっては、俺はこの駄パンダにまで馬鹿にされているのかと、少しへこんでしまったが、しかしさすがにパン駄に馬鹿にされてへこんでもいるのも馬鹿らしいので、気にしないことにした。

CoCoカレーの逆襲

 昨夜も11時過ぎまで学校にいて、一昨日と同じ友人とCoCo壱で夕食にカレーを食べる。2年位前に、辛いカレーにはまった時期があり、CoCo壱も7辛まで食べたことがある。辛い物好きといっても、7辛になるとさすがに変なテンションになって「うまい!うまい!」と自分に言い聞かすように、一人でぶつぶつ言いながら、汗だくになりながら食べて、友人や店員から気持ち悪がられていた。要するに辛い物好きといっても、まだまだヌルいのである。
 今回は久しぶりなので、5辛を注文することにした。5辛では辛いものマニアに言わせると、「辛い」というよりもむしろ「ヌルい」の範疇に入るのかもしれないが、とりあえず2年ぶりということで、ヌルく5辛から始めることにした。しかし食べた瞬間、5辛を「ヌルい」とさげすんでいた自分が、いかに思い上がっていたかを、思い知らされてしまった。口に入れた瞬間、グワッと辛さが口の中に広まって、カレーがのどから食道を通る間に、頭から首筋にかけて、汗がジワッと噴きだしてきた。そして半分くらい平らげたころには、食道から胃までカレーにコーティングされたみたいにひりひりして、こめかみから首筋にかけて汗がだらだら流れ出して来た。ここまで衰えてしまったのかと、わけのわからん事を思いながら、残り半分を三口に一回くらい水を飲みながら平らげた。完食した後本来ならば、体が芯からカッカッと火照ってきて、「きたきた、新陳代謝が促進されてきた」とかわけのわからんことを思いながら、真夏の空気すら涼しげに感じる程の火照りの中で意味不明な充足感に浸るのだが、水を飲みすぎたせいか、それとも5辛では足りなかったのか、当時感じたような心地よさは感じなかった。かわりに変な胃のもたれだけが残った。悔しいので、もっと辛いものを食べれるように、鍛えなおそうかとも考えたが、ヘアライン防衛戦線への負担も考えれば、これを機会に控えようと思った。


今日の読書感想文 産経新聞から
ゲイツ氏12年連続首位 フォーブス誌長者番付
http://www.sankei.co.jp/news/050923/kei059.htm

記事の抜粋
"米経済誌フォーブスは22日、米国内の資産家400人をランキングした恒例の長者番付を発表し、ソフトウエア最大手マイクロソフトビル・ゲイツ会長が資産総額510億ドル(約5兆6700億円)で、12年連続でトップに立った。"


510億ドルという天文学的な数字になると、感覚が麻痺してきてどれくらいすごいのかわからなくなる。おそらく一国のGDPに匹敵するだろうと考え、world bankのサイトにいって調べてみた。
ソース→http://www.worldbank.org/data/databytopic/GDP.pdfデータは2004年のもの


バングラディシュ 人口 1億3,810万人 GDP 568億44百万ドル
ロッコ     人口     3千8万人 GDP 500億55百万ドル
ベトナム     人口   8千2百6万人 GDP 452億 1千万ドル
ビルゲイツ    人口        1人 総資産 510億    ドル


カトリーナの被害者の大半は移動手段を持たない貧しい移民の人たちだそうだ。その一方で数千万の人口を抱える大国のGDPに匹敵する資産を持った大金持ちがいる。この格差がアメリカの成長の牽引力であるのか。機会の平等か結果の平等か、おそらくそのどちらに偏っても社会に歪が生じるのだろう。日本にはその中庸を行ってほしい。

 昨日は夜の11時くらいまで学校にいて、それから友達と夕食を食いがてらドライブに行った。帰りの車の中で非常にパワフルな睡魔が襲ってきて、どうにもこうにも抗し難く、友達に運転してもらっている横で、寝てしまった。女の人がこれをやるとかわいらしいなと思うだろうが、俺のようなむさくるしい男がやってしまうと、目を背けたくなるくらい見苦しいの。その友達には不快なおもいをさせて、非常に申し訳なかったと、この場を借りてお詫び申し上げます。
  今日は午前中学校に行って、二時から整体に行く。これでかれこれ四回目になるのだが、おかげで肩や首の凝りがかなり改善されたように思う。心なしか自分のゆがんだ顔もまっすぐになったような気もするが、まあ気のせいだろう。願わくばこのひん曲がった性格も何とかしてほしい・・・


今日の読書感想文 産経新聞から
カミソリ 自民の知恵袋 後藤田氏死去  


後藤田正晴元副総理が19日死去していたと21日発表があった。後藤田正晴はオウムへの破防法適用や自衛隊の海外派兵、首相の靖国神社参拝反対と、僕とは考え方がまったく正反対の人だ。しかしこの人は、自衛隊や戦争、警察の実態を知っているだけに、左翼系評論家やメディアにはない説得力があるように思う。あさま山荘事件を指揮したときには、妻子持ちや長男は突入チームから除外するなど、現実的な思考力の持ち主でもある。産経新聞の記事にもあるように”「旧日本軍の暴走を知”り ”(自衛隊の前身の)警察予備隊の創設を起案した立場」として、自衛隊の海外派遣にも批判的だ”といわれてしまえば、なるほどそういうものかと思わざるを得ない。オウムへの破防法適用に反対するのも、戦前の警察組織、治安維持法下で国民の権利がどのように蹂躙されてきたか、内務省で警察官僚をやっていた経験から知っているからだろうと思う。
 しかしそうは言っても僕の性格上どうしても反論したくなる。敗戦の焦土から世界のGDPの15%をも占めるまでに成長した日本経済は、資源の大半を輸入に依存し、他方で他国への輸出が高度経済成長を牽引してきたのである。これほどまで世界から恩恵をうけていながら、いつまでも平和主義の皮をかぶって、世界平和に貢献しないという、そんな矛盾した、独りよがりな平和主義をいつまでも続けていて良いのだろうかと思う。また破防法にしても、治安維持法でさえ当時の状況を考えれば、社会が不安定化する中で、共産主義という死病が日本全国に広まるのを防ぐ重要な役割を果たしたのである。おかげで戦後の日本は共産革命も起こらず安定した成長を実現することができた。その点は積極評価されるべきである。今日においても、テロなどが現実的な脅威となっている中で、国民の生命を守るためには破防法などの法律が多数の国民の生命を奪ったテロ組織に適用されるのは当然のことだと思う。
  しかし、日本全国でナショナリズムが高揚している今日において、それが戦前のように間違った方向に暴走してしまわないためにも、後藤田さんから学ぶことは多いと思う。